一か月間、求められたのは「やさしい教養」

オンライン開校から無事一か月が過ぎました。

多くのトラブルもなく、ここまで来られたことを感謝します。

 

月に8回開催しているにも関わらず

つねに10名以上の方々にご参加いただき、

20名になることも珍しくないことが本当に驚きです。

私自身は誰一人お声がけもしていないのに、です。

 

やっぱり、求められていたことなんだなと安心しています。

 

なんとなく僕の直感ですが、

複数回ご参加いただいたり、

もしくは既にご入学いただいた方と話していると、

求めてくれているもののコンセプトが思いつきました。

 

それは「やさしい教養」です。

 

 

やさしいっていうのは、

易しいでもあり、優しいでもあります。

 

誰もが教養と聞くと楽しそうってイメージがある反面、

矛盾しますが、とっつきにくいという感覚もありますよね。

 

何かがきっかけでちょっと背伸びした本を買ってみたら、

1ページ目で敗退みたいな(笑)

 

ものすごい勢いでスタートダッシュしたら、

そっこうで壁にぶつかったような痛さ。

 

そういう痛み、僕もめちゃくちゃわかります。

 

僕は割と人の話をかなり長くおぼえているタイプなんです。

本人でさえ忘れていることを覚えているんですよ。

 

だから、営業マン時代は上司や取引先の方に驚かれました。

そして、喜ばれたりすることも多かったです。

 

なぜかというと、僕はストーリーが大好きなんです。

 

反面、数字や固有名詞はからっきし弱かったです。

もちろん、固有名詞もストーリーがあれば覚えるんです。

だけど、いきなり羅列されても頭に入りません。

上司に「今月の売上は?」と聞かれても、

単位レベルで間違ってましたね。(ご迷惑かけました。)

 

そんな僕だからできることもあるんじゃないかなと思うんです。

ストーリーに乗せて、「易しく」伝えられればと思います。

 

 

もう一つは、「優しく」です。

 

何のために学ぶのか?

 

頭が良くなるため?

人より物知りになるため?

そんなのどーでもいいでしょう。

 

人って結局優しくなかったら意味ないと思うんです。

もし、教養を学んで、ひけらかしたり、

人を見くだしたりするようなら、無学のほうがいい。

 

僕の好きなドストエフスキーや、また哲学者のカントも、

似たような経験をしています。

つまり、学んでいくうちに傲慢になってしまった。

だけど、あるとき、間違いに気づく。

そして、無学の人ほど実は正しいことがあるというのを知るという経験です。

 

だから、僕の授業も小賢しい知識ではなくて、

哲学も、宗教も、文学も、歴史も、

人に優しくしようとした人たちのトライ&エラーだとも思って授業をしています。

 

やさしい教養、僕はなかなかピンと来たので、

裏コンセプトとしてこれからも忘れないようにしていきます。

 

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