死後の世界を信じるのは馬鹿げているか?

おはようございます。

古典教養大学 学長の宮下です。

 

昨夜は哲学者「ニーチェ」をテーマにお話しさせていただき、

ビッグネームだけあって、

多数の方にご参加いただきました。

 

やはり彼の哲学、というかもはや思想は、

今を生きる人々には魅力的かつ刺激的なようです。

僕自身、今も多大な影響を受けています。

 

 

授業の冒頭でも話したとおり、

ニーチェは一種の麻薬(この時期に(笑))です。

のめりこむとなかなか出られない。

 

もっと若い時期はニーチェに「心酔」していましたが、

今は一つの思想だと捉えることができました。

 

なぜか?

 

それは、キリスト教を学んだからです。

ちなみに、ニーチェはキリスト教を叩きまくっています(笑)

 

たとえば、天国について。

ニーチェは天国を発明したキリスト教は、

人間に対して「今を生きる力」を失わせたと主張します。

 

 

誰も見たこともない死後の世界を「設定」し、

「今幸せでなくても、耐え忍べば、天国に行ける」などと

馬鹿げたことを考えるようになったんだと。

いわば、「明日(死後)やろうは、馬鹿野郎」ってやつですね(笑)

 

僕も彼の主張を知ったとき、心から共感しました。

今の時代かつ日本人で天国に行くことを考えている人は多くないでしょうが、

それでも、「いつか」に希望を持って「今」を犠牲にするのはどの時代も共通ですね。

 

しかし、天国を想定する生き方はそんなに馬鹿らしいものなのでしょうか?

 

ちなみに、当大学にはゼミ制度があって、

学生同士で集まって、自主勉強する活動があります。

 

 

その中でも聖書部は、

少人数で、毎月コツコツ活動してもうすぐ一年。

当大学の中でもっとも活動回数が多い部活です。

 

クリスチャンでない会員たちが新約聖書をもうすぐ読み切ろうとしています。

学長は何も関与しません(というか、勉強になることばかり)

 

月一の時間では、会員が読んできたパートの中で心に残ったものを

形式にとらわれず自己開示します。

 

そのとき、

「天国に行くということを目標にして現世を生きると、充実した生き方ができそう」

という意見を聞いて、目から鱗でした。

 

ニーチェは、天国のせいで今を生きることがおろそかになる、と主張しましたが、

キリスト教は、天国があるからこそ今をきちんと生きることになる、と考えているんですね。

 

たしかに、これは注目すべき考えです。

もし、現世しかないと思って生きたとき、

「後悔のないように生きる」と言えばかっこいいですが、

節操のない生き方だし、動物的でもあります。

 

 

自分を犠牲にさえする、

人に対する優しさや愛、貢献などは、

現世を生きるというタイムリミット制では、

なかなか出てこない考えではないでしょうか。

 

ちなみにヨーロッパでペストが発生したとき、

キリスト教信者の生存率が異様に高かったようです。

 

なぜなら、信者でない人々は感染者から距離を置きましたが、

信者たちは隣人愛の精神で、感染のリスクを承知で、看病したからです。

くわえて、親や兄弟だけではなく、

血が繋がっていない信者の面倒も見たそうです。

 

とても現世だけがすべてだと思っている人にはできない行為です。

 

今の社会は、自由の社会。

だからこそ、「限られた人生で、自己実現することは大切!」という

ニーチェの主張は取り上げられやすいと思います。

とはいえ、何かそこに空虚なものも感じます。

 

自己実現よりももっと大切なものがありますから。

 

ニーチェの思想も今でも好きですが、

キリスト教の思想もおなじくらい好きです。

やはり、教養というのはバランスが大切だなと学ばせていただきました。

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