映画TENET 運命と自由意志は両立する

古典教養大学 学長の宮下です。

今回はちょっとひとりよがりというか、

周囲に僕の影響で映画「テネット」をご覧になった方が多いので、

僕なりの愉しみ方をこの場を借りてお伝えしようと思います。

 

なので、すでにご覧になった方向けです。

 

ノーラン監督の映画は、設定が凝っています。

彼の映画にはいつも一つだけ嘘があります。

嘘というのは、この世ではありえないこと。

これが二つ以上存在すると、もはやSFとなって、白ける人は多くなります。

 

しかし、現実主義者の監督は、

たった一つのあり得ないルールを観客に受け入れさせ、

そして、そのたった一つのルールから生まれるドラマをつくるのが最高にうまいんです。

 

 

たとえば、(ほぼ)処女作の「メメント」

主人公は妻を殺された男で、その犯人を捜しています。

彼自身も犯人から後ろから殴られたため、

なんと記憶が10分しか持たないという「ルール」があります。

 

また、「インセプション」では、

人の夢の中に入って、アイデアを抜き取れるという「ルール」。

 

では、今回のテネットはなんだったかというと、

「ある装置に身を通すと、時間が逆行する」という「ルール」でした。

 

要は手垢のついたタイムトラベルなのですが、

監督の非凡な才能はタイムトラベルの方法にありました。

 

 

わかりやすい例えは、DVDとビデオテープです。

 

たとえば、DVDを映画で見たあと、

「あの中盤のシーンをもう一回見たい!」と思ったとき、

チャプターを選択すれば、瞬時に中盤から見られます。

 

これはいままでのタイムトラベルの方法です。

やりなおしたい過去の時点に瞬間移動するというわけです。

 

しかし、科学的には不可能のようです。

ノーラン監督は「あり得そうな」方法を考えたわけです。

 

これが、ビデオテープ的なタイムトラベルです。

鑑賞後に中盤のシーンを見たいと思ったとき、

ビデオテープであれば瞬間移動はできません。

そう、巻き戻しをしなければいけないということです。

 

 

すると、面白い光景が生まれます。

巻き戻しをしていると、

たとえば終盤に撃たれて死んだ主人公が、

復活するように見える、つまり逆再生になるんです。

 

時間の「逆行」という考えは、

おそらく今までのどんな物語にも採用されたことはなかったはず。

 

しかし、ノーラン監督は「アイデア」に溺れる人間ではありません。

いつもアイデアを磨きに磨いて、

最終的には映画の一番の役割である「人間とは何か?」につなげているんですよ。

 

2回見た僕も6割しか理解していませんが、

それでも僕は声を大きくして伝えたいです。

 

 

細部を理解することはどうでもいいのです。

それよりも、監督が伝えたいメッセージを受け取ろうよ!

 

では、「逆行」というアイデアだからこそ、

僕らに監督は何を提示したのでしょうか?

 

結論から申します。

それは、「運命と、自由意志は両立する!」ってことです。

 

細かすぎて覚えてないかもしれませんが、

カーチェイスシーンの最初に主人公の乗る車の、

サイドミラーがすでに割れていたことを例にとります。

 

すぐ後に「逆行」した車が近づいてきて、

サイドミラーにぶつかっていくわけです。

 

 

ここで観客は初めて、

「あ、最初にガラスが割れていたのは、

未来から逆行してきた車がぶつかることを教えてくれたわけだ」と理解します。

 

「逆行」がアリのルールの世界になると、

そこから自動的に「原因→結果」だけではなく、

「結果→原因」という法則もアリになるんです。

 

皆さんも後半になると、

弾痕が見えたとき、「あ、このあとドンパチが起こる!」って

直感的にわかりましたよね。

 

それにしても、

結果があって、原因があとからやってくるって衝撃的ですよ。

 

 

だって、僕らは自分で原因がつくれると、信じています。

 

今夜、ビールを飲み過ぎたら(原因)、

翌日、二日酔いになる(結
果)

だけど、僕らはビールを飲まないことが選べる、

なぜなら原因を自分でつくることができると、

「信じている」からです。

 

しかし、ノーラン監督が描く世界では、

既に結果が存在し、

薬莢が銃口に吸い込まれていくように、

結果が原因を手繰り寄せていく。

 

最初から二日酔いになっていて、

「あ、俺、明日飲み過ぎるんだな」と悟るようなもの。

(逆行すると、二日酔い→飲み過ぎとなる。)

 

この事実に直面すると、ある感情が湧きます。

 

ああ、運命の前に、僕らの自由意志は無力なんだ!と。

 

 

しかし、こう考えてしまうのは時期尚早だし、

ノーラン監督は「ニヒリズム」な映画をつくる人ではありません。

 

もう一つだけ思いだしてほしいのは、

最後の砂漠でのドンパチです。

あのロシア人が世界を消滅させようとする、あれです。

あれが起こったのは、冒頭のオペラハウスと同日ということになっています。

 

ということは、複雑すぎて忘れがちですが、

オペラハウスの事件以降も世界が続いているのは観客も知っています。

つまり、世界は消滅しないことは分かり切ったことなんですよ。

 

レッドチームとブルーチームに分かれて、

あんなに頑張らなくてもよさそうじゃないですか?

 

でも、頑張らないと、矛盾が発生するんです。

ちょっと未来の主人公たちが頑張ったから、世界は救われたわけです。

ここでも、原因と結果が逆転します。

 

 

つまり、世界はあの日以降も大丈夫(結果)、

よって、主人公たちは過去に戻って頑張らなくてはいけない(原因)のです。

 

結果がハッピーなら許せるでしょう。

 

しかし、ニールの件は違います(´;ω;`)

 

最終的に主人公とニールは作戦の成功を祝います。

ですが、ニールはそのあと主人公と別れて、

これから時間を逆行するのだと仄めかします。

 

そう、主人公を作戦の途中で庇って死んだのは、あのニールでした。

つまり、ニールからすれば、

世界を救った満足感に浸る友を守るために、

再度作戦に赴き、命を落としにいったわけです。

 

 

切なすぎる。

 

初見は意味不明でしたが、

二回目に見たときはウルウルしてしまいました。

 

新選組のような、滅びの美学じゃないですか。

 

作戦成功したなら、二人でずっと一緒にいればいいじゃないか!と

思ってしまうのが人情。

ですが、主人公が生き残っているという結果を生むために、

ニールが原因をつくりにいかなければならないということ。

 

ここでお気づきになったと思います。

今までのタイムトラベル系の映画は、

過去に戻って、未来を理想的なものに変えていくことが目的でした。

 

 

しかし、「テネット」では、一切、歴史は変化しません。

劇中の最初から最後まで、塵一つ変わっていないのです。

まさに、定められた運命というやつです。

 

では、今一度考えたいのですが、

ならば、人間に自由意志はないのか?

僕らはベルトコンベアに乗っているだけなのか?

 

だけど、思いだしてください。

愛する女性を助けたい主人公や、

友人の為に犠牲になるニール、息子の為に命をかけるキャット。

 

誰一人、「どうせ何やっても無駄。宿命に任せよう」なんて考えてもいません。

 

理論では、運命と自由意志は両立しないのですが、

この映画では、不思議と両者が絡みあっていると体感することができます。

 

ニールが言ってしましたね。(うろおぼえ)

「結果が決まっているからといって、

何もしなくていい理由にはならない。」

 

あ~、もっかい見たい。

 

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