残り91日 売れる商品に歯止めをかける教養
こんにちは。
最近暑くなってきましたね。
これからビールの美味しい時期が来そう。
そうそう、
教養は美意識を高めるためですよ、というと、
自分はデザイナーでもないからと思う人がいるかもしれません。
その美意識は、限定された美意識であって、
本来は誰もが良いビジネスをするにあたって大事なものです。
たとえば、ちょっと前から、
高アルコール飲料が売れはじめました。
安い金額で酔えるという需要があったようです。
ところが専門家は警鐘を鳴らしていて
アルコール依存症になる可能性が高まると。
また別の人は専門家を批判します。
「良識のある大人が自由意志で選んのでいるのだならつべこべいう必要はない。」と。
学長の僕としては、
こういった批判はとても残念です。
なぜ、残念かというと教養がないからです。
たとえば、経済学の分野では「外部性」という言葉があります。
経済学を知らない人でも、売り手と買い手が満足すれば社会は回っていくという原則(アダム・スミスの見えざる手)はご存知かもしれません。
しかし、この原則は間違っています。たとえば、企業が売り手の満足を考え、ある商品を製造しまくったせいで工場から廃液が流れて近隣住民が苦しんだということがかつてありました。
売り手と買い手という二つの立場では括れないまさに「外部」の被害を無視してしまうのです。
しかし、今回は「外部」かというと、買い手がアルコール依存症になったとしても、それは売り手と買い手の二つの立場の範囲内だと反論されるかもしれません。
では、哲学の出番です。「買い手は自由に選んでいる」と言いますが、自由とはなんでしょうか?
哲学者カントは「自由とは、自分を律することだ。」といいます。なんだか、イメージとは違って、厳しい答えです。
彼は言います。もし、喉が渇いたからといって、水を飲みたいと思うならば、それは自由なのではなく「欲望の奴隷」になっているのだと。
ついつい、仕事の最中、昼からビールが飲めたら自由な生活だと考えがちですが、それは自由どころか欲望の奴隷なのです。むしろ、「飲みたい!いや、俺には理性がある。我慢しよう!」と言える余地があるのが自由なのです。
そう考えたとき、アルコール依存症になりかけている人がこの商品を選んだことが果たして、堂々と「彼らは自由に選んでいるから、売り手も何も問題ない。」と擁護できるのでしょうか?
そして、それを見越して売り手は販売することは正しいのでしょうか?
美意識とはまさに売れる商品やサービスのときに、立ち止まるきっかけになるものです。
※オリオンビール社さんは製造を中止したそう。
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