授業記録:文学入門「カラマーゾフの兄弟」
戦時だからこそ教養が必要
2022年5月25日
「【緊急企画】平和を望む人のためのロシア文学『カラマーゾフの兄弟』」を開催しました。
今のロシア情勢もあってか、多くの方にご参加いただきました。
僕の想いとしては、「ロシアとウクライナで戦争が起きたから、
ロシアの歴史やウクライナの歴史を学ぼう」とするのもいいとは思います。
だけど、それって対処療法なんですよね。
今回の戦争をきっかけに、
もっと広い視野を持ち、教養を身に着ける必要性に気づいていただきたく開催しました。
もし、日本が独裁者に支配されそうになったとき、
ロシアやウクライナの勉強をしていただけでは対処できません。
それこそ、歴史だけでなく、宗教、文学、哲学などに通じていなければなりません。
もし、戦争に巻き込まれていたら、
さすがに教養を学ぶなんて悠長なことはできません。
しかし、幸いわが国にはその余裕があります。
敢えて遠回りすることこそが、平和への道のりだと考えます。
私たちは本当に自由を愛しているか?
「カラマーゾフの兄弟」の中では、
ある登場人物が自身の執筆した短編小説を披露する場面があります。
まさに、ロシアのマトリョーシカですね(笑)
この物語が問いかけるのは、
「人間は奇跡や神秘や権威に服従することが幸せである」というテーゼです。
権威ひとつとっても、
自由が称賛される時代ですから、「私は権威に服従なんて望んでいません!」という人も多いでしょう。
しかし、本当にそうでしょうか。
テレビやyoutubeなどでは、「カリスマ」や「オピニオンリーダー」に溢れています。
彼らの言うことを聞いていれば間違わないと思っている人が大勢いる証拠です。
そりゃそうですよ。
自分で考えるのってしんどいですから。
酷いコロナ禍のときも、情報が錯綜する中、
大勢の人たちが「何が正しいかよくわからないんで、国がルールを決めてくれ」と丸投げしました。
気持ちは分かります。
コロナウィルスという得体のしれない敵との戦い方を、
自分で考えるのは疲れますから。
「権威への服従が、人間の幸せであるという考えに賛成?反対?」というワークでは、
実に面白い意見がたくさん出ました。
「自分は反対だけど、賛成してしまう人の気持ちもわからなくない。」
「服従せざるをない人を見ているので、否定はできない。」
「今のロシア国民はまさに服従に酔いしれているのではないか?」など。
不信仰は信仰の一歩手前である…
今回の主人公は、自称無神論者のイワン・カラマーゾフです。
しかし、彼が神を信じない理由が興味深いのです。
もし、神がいるのであれば、
なぜ世界はこんな惨いことが起きるのだろうか?
ところが、彼の言動を丁寧に読んでいくと、
惨い出来事を放置している神に怒りさえ抱いているのです。
あれ、ちょっと待ってください。
神に怒ってる、って、それは神を信じている裏返しじゃないですか?
イワンは神を信じたい。
だけど、理性で考えると、
神がつくりあげたこの世界を許すことができない。
そのはざまで揺れ動ていたのです。
同じ著者ドストエフスキーの作品「悪霊」において、
こんなセリフがありました。
「完全な無神論者は、完全な信仰にいたる一歩手前の階段に立っていますがね、
無関心な人間は、おろかしい恐怖心のほかに、どんな信仰ももっておりません。」
僕なりに説明すると、
自称「無神論者」には二種類いるんです。
一つは、「神がいないことを信じている人」
もう一つは、「神がいてもいなくてもどうでもいい人」
文中で「無関心な人間」は、後者です。
日本人でも多いのではないでしょうか。
無神論というよりも、神について深く考えたことがない人です。
前者は「神の不在」を信じているのですが、
それは何か強烈な理由があるからです。
イワンの理由は、「世界には残酷な出来事があるから」です。
だから、一歩間違えると、それは神がいる理由に転化することがある。
無神論者がころっと有神論者になることがある。
そう言っているのです。
僕ら日本人は、あまり神について深く考えることはありません。
しかし、ヨーロッパやロシアの人々のメンタリティを知るには、
避けては通れない道でしょう。
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