だから僕は音楽をつづけた♪
古典教養大学学長の宮下です。
ちょっとお酒が残って、頭が痛い(笑)
実は昨夜、ピアノの発表会を終えまして、
その解放感から飲んだり食べたりしてしまいました。
しかし、ピアノというのは何度やっても慣れないです。
スタートし始めたら、絶対に失敗がゆるされないという、
そういうストレスに僕が弱いみたいです。
反対に、授業や趣味でやっているマジックなどは、
いくらでもリカバリーできるし、アドリブの余地があるから向いています。
だけど、毎度新しい曲にチャレンジするたびに、
音楽の面白さを感じます。
今回、披露したのは「白鳥の湖」でした。
誰もが知っているあのメロディ。
冒頭は、「ミ~ラシドレミ~♪」で始まるんです。
で、この「ラシドレミ」ですが、
ドレミファソラシドを二回繰り返せば、
そのつなぎのときに必ず聞こえるメロディですよね?
ドレミファソラシドレミファソラシドです。
めちゃくちゃ単純じゃないですか?
だけど、単体で「ラシドレミ」を耳にしても、
おそらく「白鳥の湖」だって気づかないんですよ。
ということは、最初の「ミ~」があってこそ、
はじめて「ラシドレミ」が生きてくるというわけです。
僕は何に興奮しているかというと、
音というのはそれ自体ではまったく価値がないって教えてくれているからです。
音が連続することで、価値を持ちます。
文字も同じですね。
「も」も「じ」も、単体では意味を持たない。
「もじ」と連続することで、初めて意味を持ってくる。
ということはですよ?
書き言葉だったら、「も」も「じ」も同時に目の前に存在しますよね。
だけど、音楽は、さっき聞こえた「ミ~」は「ラ」のときにもう存在しないわけです。
過去です。
でも、「ミ~」という文脈がなければ、「ラ」は意味を持たない。
ということは、
記憶の中に「ミ~」が残っているからこそ、
次の「ラ」を意味をもって聞くことができるってことじゃないですか。
つまり、記憶が全く保てない人であれば、音楽など価値がないことになる。
「ド」ときて、「レ」ときて、「ミ」がきたら、
次は「ファ」だろうと思っていたら、「ド」に戻ったりすると感動します。
実際、そんな深く考えてはいませんが、
私たちは無意識で「こういう流れだから、次はこうくるだろう?」と期待します。
期待通りだったら、安心したという感動が生まれるし、
期待を裏切ったら、刺激という感動が生まれる。
つまり、私たちは実は「未来」に対する期待を持っています。
どれだけ人生に絶望している人間でも、
朝起きたとき、「どうせ今日はこんな感じになるだろう」と想像しているはずです。
予想がなければ、喜怒哀楽なんて生まれませんよ。
まとめると、音楽というのは、
「過去」に縛られ、「未来」に期待できる人間だからこそ、
楽しめる幻ということになります。
1秒しか記憶が持たない人間になったと想像してみてくださいよ。
音楽なんて、ただドレミファソラシドのどれか1音を楽しむことしかできません。
そして、それすなわち、私たちの人生も同じです。
存在するのはこの1秒しかない。いや、もっというと刹那しかない。
その刹那が連続しているにすぎません。
しかし、もう存在せずに記憶でしかない「過去」と、
まだ存在せずに予想にしか過ぎない「未来」という概念をもつことで、
この「今」に意味を見出しているということじゃないですか。
こんなことを考えながら、発表していたら、
見事に凡ミスを多発しました爆
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